中島家の歴史

このサイトを立ち上げるにあたって。

 中島神社氏子の話し合いの中で、子孫は益々増えているはずなのですが、神社を守っていく人たちが年々減少し、老齢化していく現状を憂う声が聞かれました。

 日本国中いたるところでそのような状況が見られるのではないでしょうか。
若い人たちに何とか受け継いで来たものを伝えていけないものだろうかとの想いからこのサイトを立ち上げる事になりました。


このサイトは「中島氏文」「中島家の歴史」をもとに研究・作成されております。


 大正十一年に小野精一先生によって「中島氏文」が上梓され、昭和十五年に再販本が出されました。
 明和二年(1765)に中島魯直によって刊行された「宇佐郡記」「両豊記」を種子本としながら、大変ご苦労され、多くの資料を基に六年間にわたる調査研究の成果であります。

 今となってはその刊行本を保存している子孫も少なくなってきました。
そのようななか、中津市の郷土研究家竹折勉先生にお願いして平成八年に「中島家の歴史」として再改訂されました。

竹折先生は「中島氏文」をもとに編集され、参考文献としては、次の資料によりました。
・大宇佐郡史論=小野精一著  ・下毛郡史=山本利夫著   ・宇佐市史=宇佐市史刊行会  
・中津市史=中津市史刊行会  ・築上郡史=雄山閣   ・陰徳太平記=東洋書院  
・城井軍記実録写=宇都宮寛著  ・宇佐近代資料集(三)中島家資料

 今後多くの資料をもとにこのサイトを構築していく予定であります。
なにとぞよろしくお願いいたします。

ふるさとを想う

江戸時代画像

中島史文(小野精一氏著 大正11年5月15日発刊)より抜粋した、中島力氏の文です。

高家は私の揺籃の地であり、忘れることのできない、懐かしい思い出の多い父母の国である。
国を出てもう二十年近くになるが、あの少年時代に戯れた野、釣を垂れた流れ、それは私には懐かしい昔を物語るかのように感ぜられる。

高家は長い間私たちの先祖が住みなれた所で、私達にとっては意味の深い歴史がある。私達はこの歴史を回顧することによって、言うに言われぬ郷土の誇らしさと親しさと懐かしさとを、しみじみと感ぜずにはおられない。

今から700年の昔に高祖中島宣長が尾張の国から下ってきて、この高家の郷に柵を築き、近郷の重鎮として徳化を布かれていたと聞いている。

また、吉野の戦酣なるの時、中島宗頼は山陽をして「翠楠未だ必ずしも黄華に勝らず」とまで讃歎の声を放たせた菊池氏の麾下として、逆賊足利の軍勢に抗したといふ。

其の最後は源家の御曹司九郎判官にも比すべき哀れをとどめたけれど、黒田の三千騎を迎え撃ち、あの」長政をして瞠若たらしめた、中島伊豫守の武勇譚は恥を忍びながらへるよりどれほど美しいか知れない。

さては胃を捨て鎧を脱ぎ、太刀を鍬に、弓矢を鋤に持ちかへてからの先祖の人々は、一族安住の地を営々として開拓して、ここに瑞穂の稔る田と畑とを残されたのである。

宣長の居城、宗頼の戦跡、壱岐守、伊豫守の馳驅の地等々----たとえ先祖の城壁の石ころ一つ鏃一つ残っていないにしろ、先祖が忠義もし、威勢も振るいもし、遊びも下であろうこの郷土の土の香を嗅ぐ時に、私達は一々お辞儀をしたくなるのである。

山鹿素行は「人はいまだおいて父母を思うこと無くんばあらず。既にこの祖父を念ふあれば、則ち未だおいて由って出る所を念ふこと無くんばあらず。故に遠きは乃ちその本性を思ひ、近きは乃ち父祖を慕ふ。而して祭祀の禮起る。況や本性の大功あり、父祖の大教あるをや-----」と言っている。

私達は父祖の祭祀を決して忘れてはならない。今年恰も高祖宣長の七百年祭を執行せられたと聞いて、衷心より喜びに堪えない者の一人である。

私達は先祖の4餘澤によって今日あるを得たのであるが、私達は先祖の遺徳を偲びては、更に志を立て、祖霊の御前に追考をいたすの道を考えなければならない。

私達にとってはかく懐かしい郷土も、故郷を外に転々流浪の旅を続けている私達の子や孫にとっては、何等の感興も懐かしさも起こらない事実を見る時,私達は「それでいいのだ」では済まされまい。
真にこの国を愛する者は国史の尊きを知る。真に愛郷の念に燃える者は、その郷土の歴史の尊さを知らねばならない。

益軒先生の家訓には「子孫たる人、我がおや先祖のことを知らざるは無下におろそかなり、況や父祖の善行武功などあるを、その子孫知らず、知れども顯はざるるは愚かなり。大不孝といふべし。」
とある。
私達は深く先祖を知るとともにその志を子孫に伝える責任のあることを、悟らなければならない。

今から二十五年前、私達の先祖の朽ち果てた卒塔婆は宗顕寺の墓地に、或いは善光寺路の傍らに、または遠く臼野の一角に、土、苔に埋もれて、彫りつけられた文字も、その名と共に消え果て探り難からんとする時、小野先生の手により中島氏文と題せられ、埋木の土ともならず、卒塔婆の文字新たに世に明かにせられましたが、此度はまた、その後御苦労の結果蒐集なされた資料を加え、再び刊行せらるるに至り、私達は先生の御苦労に対し、満腔の謝意捧げなければならない。

更にこの書により、私達は先祖の偉績を歓迎し、彌々報本反始の誠をいたし、先祖に鑑み益々奮起せねばならない事を痛感するものである----。

中島家ゆかりの方々です

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 歴史は常識と思われていることが事実と違っていたり、資料の見方によって全く違った見解になったりすることが多く、また、埋もれたまま世に出ていない資料も多くあります。
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